登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
ミルカさん:数学が好きな高校生。 僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
ここは僕の高校。いまは放課後。
いつものように図書室に向かうと、テトラちゃんとミルカさんが二人で議論をしている。
いや、違うな。
より正確にいうなら、テトラちゃんがミルカさんに向かって、 両手を振り回しながら話している——少なくとも僕にはそう見えた。 相変わらず大きなジェスチャだなあ。
僕は彼女たちの席へ向かった。
僕「数学の話? 僕も聞いていい?」
テトラ「あっ、先輩っ! もちろんです。 いまミルカさんから、距離空間についてのお話を聞いていたところです」
僕「あれ、そうなんだ。 僕はてっきりテトラちゃんがミルカさんに向かって《講義》してたんだと思ったよ」
テトラ「いえいえ、とんでもありません。逆です、逆です。 《講義》していたのはミルカさんの方です。 あたしは、いまちょうどミルカさんに質問してたところなんです」
僕「ずいぶんダイナミックな質問だね……距離空間?」
テトラ「はい、そうです。 先輩から《格子点の世界》のお話を聞いたり(第411回参照)、 リサちゃんから《最短経路の問題》を聞いたりしたじゃないですか(第416回参照)。 そこではいつも距離というものが鍵になっていました」
僕「うん、そうだね。世界を渡るパスポートのように」
テトラ「距離っていうと、こーんな感じですよね?」
こーんな感じと言いながら、テトラちゃんは両手を広げた。
たぶん、距離のジェスチャなんだな。
僕「まあね」
テトラ「でも、そもそも距離って何? ……と考え始めて、ミルカさんに質問して、 それで、距離空間の話になりました」
僕「へえ……」
テトラ「でも、まだモヤモヤしているところがあってですね……」
ミルカ「ちょうどいい。いまからテトラは、彼に距離空間の《講義》をする」
ミルカさんはテトラちゃんにそう言うと、僕を指さした。
テトラ「えっ、あ、あたしが話すんですか?」
ミルカ「そう」
ミルカさんは、僕のクラスメート。
長い黒髪にメタルフレームの眼鏡。
彼女は、数学が得意な——ものすごく得意な——才媛で、 僕たち三人のリーダー的存在だ。
テトラちゃんとミルカさんと僕は、放課後の図書室で数学トークをする。 テーマは日によって違うけれど、 それぞれにいま考えている数学の話をする仲良し三人組なのだ。
ミルカ「テトラはすでに、距離空間の定義を知っている」
テトラ「あ、はい、一応……でもそれは、いまミルカさんからお聞きしたばかりからです。 まだ、きちんと理解していません」
ミルカ「だからこそ、テトラが話す。きちんと理解するために」
テトラ「……わかりました。先輩、あたしの距離空間の話、聞いていただけますか?」
僕「もちろん。最近は、テトラ先生に教えてもらってばかりだね」
こんなふうにして、僕たち三人の数学トークが始まった。
テトラ「えっと……では、思い出しながら順番にお話しします」
テトラちゃんは、ノートの新しいページを開いて僕たちの前に広げた。
僕「はい、よろしくお願いします」
テトラ「距離の話をするんですが、距離だけを取り出して話をするのは難しいので、 距離空間の話をします。ええと、はい、距離空間の話の中に距離もいっしょに出てくるからです」
テトラちゃんは、話しながらノートに「距離空間」と書いた。
僕「うん」
テトラ「距離空間を定義していきますが、そこでまず、一つの集合と一つの関数を組にして考えます。
説明のために名前を付けますけれど、名前は本当のところは何でも構いません。
集合には
僕「うんうん。いまテトラちゃんは、距離空間の定義を話そうとしているんだね。いいよ」
テトラ「最初の条件ですが——」
ミルカ「その前に、
テトラ「あっ、そうですね。そうでした。いまは集合
集合
僕「うん、いいよ」
テトラ「それで、関数
僕「そういえば、リサちゃんが作ってくれたプログラムでも、
フィールドの名前にdistanceが出てきたね(第417回参照)。
グラフ中の
テトラ「ですです。
僕「言われてみれば、確かにそうだね」
テトラ「いま定義しようとしている関数
テトラちゃんは 「ありますよね?」と語尾を上げてミルカさんを見る。
ミルカさんは黙って肯く。
テトラ「リサちゃんと最短経路のアルゴリズムを考えていたときは、
二つの点の距離は
僕「なるほど」
テトラ「距離を表す関数
ミルカ「テトラは理解している。確認せずに進んでいい」
テトラ「は、はい。
集合
ミルカ「
テトラ「そうでした。直積集合」
僕「なるほど、距離を測ろうとする二つの点を考えるために、
二つの点の組をすべて集めた集合が
テトラ「そうです、そうです。そして、二点
僕「
テトラ「はい、そうなります」
ミルカ「気持ちとしては『
テトラ「え……」
僕「関数
ミルカ「そういうこと。 距離の概念を数学的に定義したいのだから、 私たちが日常的に知っている距離の概念は念頭に置きつつも、 定義に紛れ込ませないように注意が必要だ。 さもないと、数学の自由度が失われてしまう危険性がある」
僕「自由度?」
ミルカ「『《それ》は、常識的な感覚では距離とはいえないけれど、定義に従えばまちがいなく距離といえる』 という感覚のこと。日常的な感覚を土台にすえてしまうと、この自由度が失われてしまい、 数学が不自由になってしまう。定義の適用範囲が日常的な感覚から離れられなくなるから」
テトラ「わかりました! いつもの《知らないふりゲーム》ですねっ!」
ミルカ「そう、それだ。便宜的に『距離』という言葉を使ったとしても、 いつでも《知らないふり》に戻れるようにしておく必要がある」
僕「距離というものはまだ知らない。 知っているのは、集合や関数や実数といった数学的対象だけということにするんだね」
距離空間
ここで、
テトラちゃんの《知らないふりゲーム》(0)
あたしたちは、
集合
それから、距離空間というものを、集合
いまは、まだまだ《知らないふり》です。
図を描きますけど、これはあくまでもイメージ図です。
テトラ「あたしたちは、距離空間を定義しようとしています。
そして、先ほどの関数
テトラちゃんの説明は続く。
彼女が「こっちに置いといて」というときには、 実際に両手で大きな荷物を脇に置くジェスチャをする。 律儀だ。
僕「条件が四つあるんだね」
テトラ「はい。その条件(1)は『関数
僕「うん、それはわかるな。
テトラ「そういうことです。お気持ちとしてはそうなります」
ミルカ「『関数
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