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第386回 シーズン39 エピソード6
「理解する」を理解する(後編)

書籍紹介:『数学ガールの秘密ノート/数を作ろう』

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登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。

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図書室にて

テトラちゃんは、村木先生からの《カード》に書かれていたベクトル空間の定義に取り組んでいる。

といっても、が彼女に教えるのではなく、 二人で一緒に読んでいくという《二人三脚読み》を試みているのだ。

これはテトラちゃん自身のアイディア(第384回参照)。

読んでいくスピードはすごくゆっくりだけれど、 僕たちは協力して、一歩一歩進んでいく……(第385回参照

テトラ「……これで $K$ と $V$ について読んだことになりますよね」

「そうだね。ずいぶんゆっくりペースだけれど、テトラちゃんとしてはどう?」

テトラ「あたしとしては——はい、すごく納得感があります。 《こういった感じ》じゃなくて……《こんな感じ》です」

テトラちゃんは、一つ目の《こういった感じ》では、から彼女に向かって何かが流れるように手をなびかせる。

そして、二つ目の《こんな感じ》では、机に置いた《カード》から彼女に向かって何かをかき寄せるように手をなびかせた。

一生懸命だけど、何のジェスチャなのか、にはさっぱりわからない。

「ねえテトラちゃん——それって《どんな感じ》なの?」

テトラ「はい。先輩の方からあたしに知識が流れ込んでくるのではなくて、 あたしがこの《カード》を理解している感じです。というか……数学的な文章の読み方を理解しているというか……」

「なるほどね」

テトラ「$K$ と $V$ についてはわかりました。先に進みましょうっ!」

村木先生の《カード》

  • $K$ を、たいとします。
  • $V$ を、加法群(群演算を加法と考え、二項演算子を $+$ で表したアーベル群)とします。
  • $K\times V$ から $V$ への写像 $(a,x) \mapsto ax$ が存在して、
  • 以下の(1)から(4)のすべてが満たされているとします。

(1)$K$ の任意のげん $a$ と、 $V$ の任意の元 $x,y$ に対して、$$a(x + y) = ax + ay$$が成り立つ。

(2)$K$ の任意の元 $a,b$ と、 $V$ の任意の元 $x$ に対して、$$(a + b)x = ax + bx$$が成り立つ。

(3)$K$ の任意の元 $a,b$ と、 $V$ の任意の元 $x$ に対して、$$(ab)x = a(bx)$$が成り立つ。

(4)$K$ の単位元を $1$ とすると、 $V$ の任意の元 $x$ に対して、$$1x = x$$が成り立つ。

  • このとき、 $V$ を「$K$ 上のベクトル空間」といいます。
  • $V$ の元を「ベクトル」といいます。
  • $K$ の元を「スカラー」といいます。
  • 写像 $(a,x) \mapsto ax$ を「スカラー倍」といいます。
  • $V$ の元 $ax$ を「$x$ の $a$ 倍」といいます。

松坂和夫『代数系入門』を参考にしています。

次の一歩へ

「次は……これだね」

  • $K\times V$ から $V$ への写像 $(a,x) \mapsto ax$ が存在して、
  • 以下の(1)から(4)のすべてが満たされているとします。

テトラ「さっそく《細かく分解して読む》作戦で読んでみます(第385回参照)」

  • $K \times V$ というものが出てきました……
  • $V$ というものが出てきました……
  • $K \times V$ から $V$ への写像というものが出てきました……
  • その写像は $(a,x) \mapsto ax$ というものです……
  • そのような写像が存在するとします……
  • そしてその写像は(1)を満たすとします……
  • そしてその写像は(2)を満たすとします……
  • そしてその写像は(3)を満たすとします……
  • そしてその写像は(4)を満たすとします……

「なるほど、さっそく応用したんだね」

そして、は正直驚いた。

「$K\times V$ から $V$ への写像 $(a,x) \mapsto ax$ が存在して、 以下の(1)から(4)のすべてが満たされているとします」という一文の中に、 これほどたくさんの情報が詰め込まれていることに驚いた。

こういう文は何回か読んだ経験があるから、それほど苦労なく読むことができる。 でもテトラちゃんがやったように、一つ一つを分解して改めて眺めると、 けっこうたくさんのことが書かれているんだな……

テトラ「まず最初の $K \times V$ というのは、 これは $K$ と $V$ を計算するぞ、という意味になりますか?」

「いやいや、違うよ。 $K \times V$ は一つの集合を表しているんだ。 $K$ と $V$ の積集合や、 $K$ と $V$ の直積と呼んだりする」

テトラ「直積……集合の掛け算?」

「大事なところだからまた岩波数学入門辞典を調べておこうか」

テトラ「あっ、そうですね。言葉の意味に引きずられてはいけないんでした。定義がはっきりわからないときには調べることも大事なのですよね」

直積

は数学辞典の「直積」の項目を開いた。

直積

二つの集合 $X,Y$ の直積とは、 $X$ の元 $x$ と $Y$ の元 $y$ の組 $(x,y)$ 全体を指し、 $X \times Y$ と表す。 すなわち、 $$ X \times Y = \SET{(x,y)|x \in X, y \in Y} $$ である。 $X \times Y$ を直積集合ということもある。(以下略)

岩波数学入門辞典より)

「数式を使って明確に定義が書いてあるね」

テトラ「……」

「……」

テトラ「……ちょっと待っていただけますか。この直積の定義をよく読んで、理解したいと思います」

「もちろん、待ってるよ」

テトラちゃんはノートを取り出して何かを書き始めた。

は、彼女が何を書くのか眺めようとしたけれど……そのとき、 こんな言葉がの心にふいに浮かんだ。

  • 彼女は彼女自身の課題・・・・・・・に取り組んでいる。
  • だとしたら、僕は僕自身の課題・・・・・・に取り組むべきじゃないか。

うん、まったくだ。まったくその通りだ。

は、《カード》が何を意味しているか、一応は読み解くことができる。 ベクトル空間の定義はすでに何回か学んだことがあるからだ。

もしもテトラちゃんから「教えて」と言われたら、 この《カード》の内容を解説できると思う。

でもは、たとえばいま、テトラちゃんがノートに何を書こうとしているのかは知らない。

それを予想してみるのはどうだろう。

直積を理解しようとする現在のテトラちゃんは、 ノートに何を書いて、何を考え、どんな理解に向かおうとするだろうか。

それを、予想してみよう。

理由はわからないけれど——それが、僕自身の課題・・・・・・のように思えるからだ。

は、目を閉じて考える。彼女はここから何を考えるだろうか。

うん、予想できる。なぜなら、だって同じことをするからだ。

直積の理解を確かめるため、恐らく、テトラちゃんは——

テトラ「……先輩?」

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(2023年3月10日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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