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第165回 シーズン17 エピソード5
水面に映る星の影(前編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』として書籍化されています。

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登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。

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図書室にて

テトラ「さて、これは……」

が高校の図書室で本を読んでいると、 後輩のテトラちゃんがやってきた。 手に白いものを持っている。

「テトラちゃん、何を考えているの? それは村木先生の《カード》?」

テトラ「あ、先輩! はい、そうです。村木先生からいただいたんですが、 これ、何も書いていないんですよ」

テトラちゃんに《カード》を渡す。それは確かに何も書いていなくて……こんな形をしていた。

村木先生の《カード》

「正 $5$ 角形だ」

テトラ「正 $5$ 角形です」

「何も書いてない」

テトラ「何も書いてないです」

「今度は正 $5$ 角形の天使?」

テトラ「え?」

「いやいや、こっちの話(第139回参照)」

テトラ「正 $5$ 角形について考えよ、ということでしょうか。 この形を使って何かおもしろいことを……」

「まあ、もともと、 村木先生が僕たちにくれる《カード》は問題になってないこともよくあるからね。 図形といえば、先日ユーリに複素平面の話をしたなあ」

テトラ「複素平面! ユーリちゃんはいつもすごいですね。 何でもできちゃいます」

「複素数とベクトルの話をしたんだよ。 $a+bi$ という複素数を座標平面上の点 $(a,b)$ だと思えば、 複素数を使って図形を描けるよね。 《図形》を《点の集合》だと見なして」

テトラ「はい、そうですね」

「といっても簡単な話だけしかできなかったけどね。 たとえば共役複素数(きょうやくふくそすう)の話はしなかったし」

テトラ「共役複素数……といえば《水面に映る星の影》ですね!」

「みなもにうつるほしのかげ?」

テトラ「はい、そうです。 $$ a+bi $$ と $$ a-bi $$ のことですよね、共役複素数って」

「そうだね。 複素数 $a+bi$ の共役複素数は $a-bi$ だし、 複素数 $a-bi$ の共役複素数は $a+bi$ になるね。 $a+bi$ と $a-bi$ は複素共役(ふくそきょうやく)であるという言い方もするよ」

  • 複素数 $a+bi$ の共役複素数は、 $a-bi$ である。
  • 複素数 $a-bi$ の共役複素数は、 $a+bi$ である。
  • $a+bi$ と $a-bi$ は複素共役である。

テトラ「はい、その $2$ つの複素数……つまり、 $a+bi$ と $a-bi$ を複素平面に描くと $2$ 個の点になりますよね。 それがちょうど、実軸を水平線として《水面に映る星の影》みたいだなあ、 と思ったんですよ(『数学ガール/ガロア理論』参照)」

《水面に映る星の影》……複素共役な $a+bi$ と $a-bi$

「ああ、確かに。 実軸を対称軸として、 $a+bi$ と $a-bi$ が対称の位置にあるからだね」

テトラ「共役複素数って、よくでてきますよね」

「うん。 $2$ 次方程式の解の公式にも出てくる」

$2$ 次方程式の解の公式に出てくる共役複素数

$x$ に関する $2$ 次方程式、 $$ ax^2 + bx + c = 0 \qquad (a \neq 0) $$ の解は、 $$ x = \dfrac{-b + \sqrt{b^2 - 4ac}}{2a} $$ または、 $$ x = \dfrac{-b - \sqrt{b^2 - 4ac}}{2a} $$ である。 ここで、判別式 $b^2 - 4ac \leqq 0$ のとき、 $$ \left\{\begin{array}{llll} A &= \dfrac{-b}{2a} \\ B &= \dfrac{\sqrt{-(b^2 - 4ac)}}{2a} \\ \end{array}\right. $$ とおく。すると $A,B$ は実数で、 $$ x = A + Bi \\ $$ または $$ x = A - Bi \\ $$ が解となる。

テトラ「なるほど、そうですね。 $A + Bi$ の共役複素数は $A - Bi$ と……」

「そうそう。共役複素数はとてもおもしろくて、足しても掛けても必ず実数になるよね」

$a,b$ を実数とする。

和 $(a+bi) + (a-bi)$ と積 $(a+bi)(a-bi)$ はどちらも実数になる。

テトラ「ええと? これはあたしでも確かめられそうです。 計算すればいいんですよね?」

$$ \begin{align*} (a+bi) + (a-bi) &= a + bi + a - bi \\ & = 2a \\ (a+bi)(a-bi) &= aa - abi + bia - bbii \\ &= a^2 - abi + abi - b^2i^2 \\ &= a^2 - (-b^2) \\ &= a^2 + b^2 \\ \end{align*} $$

「そうだね。和は $2a$ になって、積は $a^2+b^2$ になる。だから……」

テトラ「はい、だから、 $2a$ も $a^2+b^2$ も実数なので、和も積も実数になっていることが確かめられました」

「そういうこと。特にがおもしろいんだよ!」

テトラ「積というと $(a+bi)(a-bi)=a^2+b^2$ ですが?」

「それだよ。だってほら、複素数の絶対値の二乗に等しくなってる」

$$ (a+bi)(a-bi) = a^2 + b^2 = \sqrt{a^2+b^2}^2 = \ABS{a+bi}^2 $$ $$ (a+bi)(a-bi) = a^2 + b^2 = \sqrt{a^2+b^2}^2 = \ABS{a-bi}^2 $$

テトラ「ははあ……確かにそうですが」

「納得いかない?」

テトラ「いえいえ! そんなことはありません」

「ただ?」

テトラ「ただ……あの、すみません。いつもあたしは《でも、 これは何なんだろう》って思ってしまうんです」

「そうだね。テトラちゃんがよくいう、So what? (だから何?)かな」

テトラ「それです! 先輩がいろんな式を次々に見せてくださったり、 こんな関係もあるよと教えてくださいます。 それはおもしろいですし、なるほど!と思うこともよくあるんですが、 胸の中に《もやもや》が残るんです。『この式は何なんでしょうか』や 『そういう関係が導けるから何?』……という《もやもや》です」

「うん、よくわかるよ。 テトラちゃんとはよく話してる長い付き合いだし。 よくそういうこと、あるよね」

テトラ「す、すみません。何だか素直じゃなくて」

「そんなことないよ。言われたことをそのまま鵜呑みにするだけが素直じゃないし。 それにね、テトラちゃんは自分の《わかってない気持ち》に対して、いつも素直なんだよ」

テトラ「あっ、そういっていただけると……ありがとうございます」

「ところで共役複素数の話なんだけど、 『積も和も実数になる』とか『積が絶対値の $2$ 乗になる』とかいうことは……それだけじゃ《だから何?》に答えられないかも。 僕は数式をいじるのが好きなんだけど、それはそれ自体が楽しいからだし」

テトラ「そうなんですね。あたしはそういう境地にはなれそうにないです」

「あっ、でもね。別に数式をいじってるだけがすべてでもないんだよ。 計算しているとね、ときどき何かに《つながる》ことがあるんだ。 授業のときや、テスト中でも『あれ、前に似たような計算をしたことがあったぞ』って思うんだ。 ふだんから、自分で手を動かして計算していると、気付くことがたくさんあるんだよ」

テトラ「そうなんですね」

「そうだよ。そうそう、数式とも長い付き合いだと、 だんだん《こういうこと、よくあるなあ》というのが集まってくるんだね、経験として。 テトラちゃんもよく言うよね。概念と《お友達になる》って。 数式を使って計算しているというのは、 友達とのおしゃべりと似ているかも。 友達と話すとき、いちいち『いまの話は何の役に立つか!どんな意味を持つか!』なんて考えないよね」

テトラ「それは……そうですね。 でも、お話が終わった後になってから、 《あのときの、あの人の、あの言葉は、どういう意味を持っていたの?》 と思うことは……ええと……よくあります」

「うん。それは数式をいじっているときと同じだ!」

テトラ「なるほど……なるほどです、はい」

特殊な値

「テトラちゃんは『文字がたくさん出てくるとパニックになる』ってよく言うよね」

テトラ「あ、そうですね。《あわあわ》しちゃいます。 で、でも、最近はかなり持ちこたえていますよ……」

「うん、それでね。数式で遊ぶときには《文字の導入による一般化》をして、一般的に考えることもあるけれど、逆もあるんだ。 《変数への代入による特殊化》で楽しむことがあるよ」

テトラ「はあ……」

「たとえばさっきの複素数の積 $(a+bi)(a-bi) = a^2 + b^2$ というのは ごちゃごちゃした式に見えるかもしれないけど、 ここで特殊な場合を考えてみる。僕が好きなのは単位円だね。 つまり、 $$ a^2 + b^2 = 1 $$ を満たすような状況を考える。これは、 $$ \ABS{a+bi} = 1 $$ そして、 $$ \ABS{a-bi} = 1 $$ という状況のこと」

テトラ「単位円というと半径が $1$ の?」

「そうそう。複素平面でいうと、原点を中心に、 半径を $1$ にした単位円。その円周上の点が $a^2 + b^2 = 1$ を満たしてる」

$a^2 + b^2 = 1$ を満たす複素数 $a+bi$ と $a-bi$

テトラ「これが……特殊化になるんですか」

「そうだよ。 $a,b$ がどんな実数でもかまわないとすると、 $a+bi$ はどんな複素数でも表せる。これは一般的な話。 でも、 $a,b$ は実数だけど、 $a^2 + b^2 = 1$ という条件を満たさなきゃいけないという制約をかける。 このとき $a+bi$ という複素数にも制約がかかるわけだね」

テトラ「はあ……す、すみません。またつい心の中で『So what?』という声が……」

「だよね。それで、僕はこんなふうに式変形したくなる。 $a^2 + b^2 = 1$ のとき……」

$a^2+b^2 = 1$ のとき、 $$ (a+bi)(a-bi) = 1 $$ だから、両辺を $a+bi (\neq 0)$ で割って、 $$ a - bi = \dfrac{1}{a + bi} $$ が得られる。

テトラ「……」

「つまり、 $a^2 + b^2 = 1$ という条件があると、 《共役複素数を求める》ことが《逆数を求める》ことと同じだとわかったことになるね! 僕はこういうのが大好きだな」

テトラ「共役複素数で逆数が求まる?」

「そうだね。絶対値が $1$ のとき、 共役複素数で逆数が求まるし、逆数で共役複素数が求まる。 《$a+bi$ から $a-bi$ を求める》というのは、 ふつうに考えると《$bi$ という虚数部分の符号を反転させる》というやりかたになるよね」

テトラ「はい、そうですね」

「でも、 $a^2 + b^2 = 1$ という条件があれば、 《$a+bi$ から $a-bi$ を求める》というのは、 《$a+bi$ から逆数の $\frac{1}{a+bi}$ を求める》というのと同じ計算になるんだよ。 だって、 $a-bi = \frac{1}{a+bi}$ なんだからね」

テトラ「ああ、はいはいはい」

「《共役複素数》と《逆数》のように、ちょっと見ただけだと関係なさそうなものが、急に関係が見えてくるっていうのは楽しくない?」

テトラ「なるほどです! 少し、おもしろさがわかってきました。 あたしが《共役複素数》というと《水面に映る星の影》 だと感じるのに似ています。違う姿が見えるんですね?」

「ああ、そうかも! そうだ、言葉大好きテトラちゃんだったら、 こういうプレゼントがあると喜ぶかな」

テトラ「プ、プレゼント? 喜びますっ!」

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(2016年8月5日)

書籍『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』として書籍化されています。

書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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